こんにちは、坂口公太です。

5月24日(土)も、グロービス経営大学院で「中国古典から学ぶリーダーシップ哲学」の講義を受けてきました。回を重ねるごとに、数千年もの時を超えて受け継がれてきた思想の深さと、それが現代の私たちの働き方や組織運営に驚くほど通底していることに、知的な興奮を覚えます。

今日のテーマは、リーダーにとって永遠の課題ともいえる「人物鑑定」と、組織をどう動かすかという「統治論」でした。

「その人らしい失敗」に本質は現れる

まず、身につまされたのが「人物鑑定の原理原則」です。

  • 人は試してみないと、本当のところは分からない。
  • 自分自身の偏見や色眼鏡を取り除く必要があるが、それは他者からのフィードバックなしには極めて難しい。

かの諸葛孔明や孔子でさえ、人を見誤ることがあったといいます 。Netflixのドラマ『地面師たち』でも描かれていたように、巧妙に作り上げられた人物像を面接や短い会話だけで見抜くのは至難の業です

では、どこに注目すべきか?

講義で最もハッとしたのは、「人間というのは、いかにもその人らしい失敗をしでかすものだ」という言葉でした 。失敗の仕方を観察すれば、その人の本質的な人柄が見えてくる 。これは、医療現場で後進を指導する立場としても、非常に重要な視点だと感じます。

成功している時よりも、困難な状況や失敗した時にどう振る舞うか。

そこにこそ、その人の誠実さや責任感、成長の可能性が表れるのです。

リーダーは「背中」と「便所」を見る

では、リーダーは日常的にどこを見ればよいのか。面白い事例が紹介されました。

ある社長は、社員が会社を出ていく時の「帰り際の背中」を定点観測していたそうです 。背中は無防備で、その人の内面がストレートに現れやすいからだといいます 。また、本田宗一郎は、工場見学の際に必ず「便所」を借り、その清潔さを見ていたそうです 。「床の間は立派でも、便所が汚い会社とは付き合わない」

見られていない場所、意識されていない瞬間にこそ、その人や組織の文化が宿る。

これは、患者さんの何気ない表情や仕草から状態を読み取ろうとする我々医療者にも通じる、鋭い観察眼の重要性を示唆しています。

「徳」か「法」か? 理想と現実のマネジメント

講義の後半は、組織統治の二大思想である「徳治」(儒教・孔子)と「法治」(法家・韓非子)の対比でした。

  • 徳治(論語的な渋沢栄一など): 人々の信頼や徳性によって、自ずと秩序が保たれることを理想とする。
  • 法治(韓非子の岩崎弥太郎など): 信賞必罰の明確なルール(法)と権力によって組織を統制する。

興味深いことに、短期的な経営成果でガチンコ勝負をすれば、韓非子の「法治」に軍配が上がることが多いそうですby守屋先生 。

「ブラック企業だけど業績は良い」というイメージに近いかもしれません 。現代中国の習近平国家主席の愛読書も『韓非子』だそうです 。

この中国式の法治・成果主義は、君主が「透明な評価者」に徹し、手を挙げて成果を上げた者が地位を得ていくシステムです 。一見公平ですが、問題点も指摘されました。

①権力闘争が起きやすい

②チームで成果を上げる発想がなくなる

③「賞」を与えるための原資が必要になる、などです 。

これは、現代の組織運営における永遠のテーマです。人間的な信頼関係を基盤としつつ、いかに公平な評価システムを構築し、個人の成果とチームの成果を両立させるか。医療という、人の命を預かるチームワークが必須の現場では、特にこのバランス感覚がリーダーに求められます。

今日の学びは、単なる古典の知識ではなく、明日からの臨床、教育、組織運営に活かせる実践的な智慧に満ちていました。深い人間洞察に基づいたリーダーシップ。その探求の旅は、まだまだ続きそうです。