2025年6月14日雨の大阪。
僕にとって、忘れられない一日となりました。実に2年ぶりに、IELTSという大きな壁に挑みました。

今、このブログを書いているのは、試験を終えて数時間が経った大阪の適々斎塾。体にのしかかるのは、どうしようもない疲労感と、そして、ただただ悔しいという、感情です。
朝9時から始まった試験の長丁場。約3時間、息つく暇もない情報との格闘でした。。。
ライティングでは、事前に叩き込んだ設計図が、プレッシャーの中でもなんとか機能してくれたという、わずかな手応えがありました。しかし、リーディングでは時計の針が心を追い立て、いくつかの設問を空白のまま残すことに。。。。そして、最大の壁として立ちはだかったのがリスニングだ。特にパート3の、あの容赦のないスピードと複雑な会話。まるで、分厚い音の壁に手も足も出ないような感覚でした。
筆記試験を終え、心身ともに消耗しきった後の、午後のスピーキングテスト。 これが、僕の心を折る最後の一撃だったかもしれない。。。試験官の前に座り、頭では「会話を楽しもう」と分かっているのに、口から出てくるのは、しどろもどろの、ありきたりな言葉ばかり。「もっとうまく話せたはずだ」。そう思うほどに、口は重くなる。10数分の面接を終え、部屋を出た瞬間の、あの「辛い」という感覚は、今も胸に突き刺さっている。。。
試験直後は、この悔しさと疲れで、何も考えられず。。
でも、少し時間が経ち、ぼんやりと頭を巡らせていた時、ふと思い出しました。
僕が目指す道を進んだ多くの先人たちも、こうして何度も英語の試験に苦戦し、悔しい思いをしてきたという話を。こんなタイミングでいつも徳田先生と会うタイミングがあったりします!
先人にとって、この試験は単なる語学テストではなく、未知の世界へ挑むための「通過儀礼」だったのだと。
そうだ、今日の僕のミッションは、満点を取ることではなかった。2年間という長いブランクを経て、今の自分の実力と課題を正確に把握する「データ収集」。それこそが、今日の唯一の目的だった。
そう考えた時、今日の「敗北感」は、全く違う意味を持ち始めた。
- リスニングのパート3で歯が立たなかったこと。
- リーディングで時間が足りなかったこと。
- スピーキングで言葉に詰まったこと。
これらは全て「失敗」ではなく、次に何をすべきかを指し示してくれる、「データ」だ。
そして何より、今日、僕がこの会場に足を運び、2年ぶりに試験を受けたという「行動」そのものが、停滞していた自分を前に進める、最大級の「進歩」だったと言えるようにまた行動します。
悔しい。そして、疲れた。
道は長いかもしれない。
この心地よい疲労感と共に、今日は眠ろう。